まさに新しい映像の世紀が現実になる中で…親類の痛ましい戦争体験と軍備のないコスタリカから…

NHKの映像の世紀はまさに生きた教科書と言える、あれほど深さのある映像は、おそらく世界中どこの放送局を探そうとも存在しないかも…いや、存在しない。

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私の叔父の一人が自動小銃小隊の兵隊として満州国での戦いで、常に最前線におかれ、その日は敵軍が予想を超えた数だったとか…

幾ら撃ち続けても敵軍は増える一方で、そのうち弾薬も底をつき、退却途中で脚と下腹を撃ち抜かれ弾は貫通…。

応急措置に止血と消毒の代用に熱で焼けた自動小銃の銃口を傷口に刺し入れたとか。

あまりの痛みに気絶したそうです。

あの映像の世紀から叔父の話を思い出しました。

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私の義父が職業軍人で陸軍少尉として満鉄の警護隊に赴任中、その日は部隊長が不在中に臨時隊長に命じられ…

夜間パトロール中に列車内から麦泥棒を発見…ところが、その盗人は大人ではなく、中国人少年であったようで、本来ならば子供とは言え、盗人は盗人であり、厳罰があるものの、「子供には戦争責任はない、そのひもじさは大人の責任…」と、自分の命を賭けて子供を解放したそうです。

どうやら、その部隊長も情け深く、義父は結果的に本土に転勤命令されました。

しかし、その転勤命令がなければ満州国で戦死またはロシア強制労働に駆り出されて命はありませんでした。

あの世紀の映像から義父の武勇伝を思い出しました。

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私の叔母が東京大空襲を実際経験している…B29による焼夷弾が雨のように落とされ、炎🔥の中を生後6カ月の娘を背負い、姑の手をひきながら、飲まず食わずに2日も歩き続けて千葉の実家にたどり着いたとか…

(叔母の主人は既に南方の海で戦死…知ることができたのは、その1年後…)

道自体が炎に包まれていたところもあって…まだ延焼していない家の中を通り抜けて逃げたとか…夜間の空襲であったので、どの家にも布団が敷かれたままだったそうだ…

多くの人々が炎による熱さのあまり、川に飛び込むが…次々に飛び込むために、人の重みと隙間がなくなるほどの人の数で…川に飛び込んだ人々のほとんどが浮き上がることなく、川底に沈んだそうだ…

叔母たちは川に飛び込むことも考えたが思いとどまったおかげで生き延びることが出来たとか…背負っていた娘がいたことで命拾いができたようだ…

しかし、逃げ延びる途中に火の粉で、気づくと娘の背中は大きな火傷を負ったそうだ…

一生完治することもない火傷で、戦後80年近く経っても、おそらく傷痕はあるはず…

傷痕と言えば、小学生の頃夏休みに叔父の家に遊びに行って、お風呂の中であの痛ましい銃創痕を見た覚えがある…

生き延びることができたのは奇跡だと聞いている…あの当時は日本は負け戦の中で、瀕死の重傷を負っても治療は全く受けた記憶ないそうだ…

感染症どころか、傷口からウジがわくほどで…アルコール消毒も全くない中で、焼いた短剣での消毒と戦友が道に生えるドクダミを患部に塗布のみの治療で奇跡の生還を成し遂げている…

お風呂の中で聞いたことに、戦争は人の心を変える、心の中に鬼が宿る、君も生きていれば必ず戦争を体験するよ…

職業軍人であった義父の言葉に、人に運命があるように国も同じこと、人と人との喧嘩が絶えないように、国と国も同じこと、歴史絵巻に描かれているように、変えることは無理なようだと…

まさに、今が…その時なのかもしれません…

中米の小国であるコスタリカは、70年以上も軍隊を持たない国として、軍備費を教育費に…今の世界からみればユートピアと言える国で…持たないことがベストなのかもしれません…

人はお金を持てば使いたくなるように、武器を持てば使いたくなりますから…

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